経済学の限界。
農業を見る視点としての経済学は重要であるが、純経済学的な結論が正しいと考えるのは間違いである。その理由の1つは、基本的に経済学とは比較静学であり、「よりよい状態」への移行過程やそのコストを考慮しないからである。加えて、人間は利己的であるという仮定がすべての経済現象を説明し得ないことは、経済的には崩壊するはずの共有地が存在していることでも明らかだ。現実の社会には歴史の堆積があり、そこにはその時々の人間の合理的な判断があるのである。「正しさ」とはその現実から抽出されるものでなければならない。昨今の農業政策はWTOのルールに大きく影響されている。しかしこれはきわめて経済学的であり、その「正しさ」は限定的である。ルールや理論の中ではなく、農業の生産や流通の現場に赴き、人々の営みの中から「正しさ」を発見し、その上で経済学の視点を加味して制度を見つめ直すべきである。その意味で、社会学のように純経済学では扱えなくなった対象を記述した学問にも耳を傾ける必要があろう。
推薦されて読んだ一冊。こういうことが言いたかったのだろうなあ、と。
忘れそうな視点、忘れないようにしないと。
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