2009-01-31

『私の経済学批判』(飯田経夫/東洋経済新報社)



「そんなにこまごまと経済学者の主張を批判して、じゃあ、あなたの考える解決策は一体何なんですか?」

「いや、そもそも経済学では問題解決なんてできないのです。問題の本質は日本社会にあるのですから」



たぶん、端的にあらわすとすると、主張はこんな感じです。



ある先生に「君は飯田経夫を知っているか?ぜひ読んでみるといい。彼の意見には、私もほとんど賛成」と言われ、借りて読んだ一冊。飯田経夫氏は理論経済学者で、名古屋大学教授、国際日本文化研究センター、中部大学各教授を歴任した方。Wikipediaによれば、「独自の視点から見た日本経済論や経済思想史の著作が数多く、論壇で活躍した」人間らしい。

本書は、経済学を知っている人間だけが書きうる、経済学批判です。
尊敬する先生の紹介なので、たぶんにバイアスもあるでしょうが、極めて「まっとうな」一冊。留学以来、経済学にかぶれそうな私をいい意味で経済学から離れさせてくれた作品。これを読むだけで、農業政策に対する見方が90度変わる気がします、よ。


あまり勉強していない私が語るのもなんですが、最近、経済学って、2つの「正しさ」があるような気がしています。

ひとつは「理論的な正しさ」。あるモデルにおいて、証明できる「よりよさ」みたいなものが1つ。政策立案や政策提言の際には、しばしばこの「正しさ」が使われます。こういう制度になれば、より効率的な資源配分が達成できるはず、みたいな。

しかし、もうひとつは「現実の正しさ」。人間が合理的であれば、現実に達成されていることは、何らかの均衡状態であり、「よりよい」状況は存在しないはずである、ということ。この場合、政策を打つ必要性は単に資源配分の問題であり、公平性はあっても、効率性の問題はないはずです。

もちろん、いろんなエクスキューズはあるのですが(あえていえば情報の非対称性や人間の合理性への懐疑)、基本的にはこの2つであり、後者が前者に置き換わっていくことが経済学の発展であるようです。とはいえ、そもそも人間のような複雑な生命体とさらに複雑なその相互関係を自然科学のようなエレガントな法則で描ききろうとすることに本質的な無理があるような気がしているのですが、まあそれはそれで別の話。



本書は、経済学の本質とは前者ではなく後者であるにもかかわらず、前者がもてはやされている状況に対して、警鐘を鳴らしています。うがった見方をすれば、経済学とは、経済学者に騙されないために学ぶ学問なのでしょう。だって、主張の根拠はものすごく基礎のモデルであることがほとんどなのですから。「そんな経済学みたいな未熟なツールで世の中の問題がすべて理解できるはずがないし、解決できるはずもない」という感じ。昔は近代経済学(という言い方もなんですけど)があまり知られていなかったので、それはそれで価値があったのでしょうが、今じゃみんな知ってますから、価値もないわけです。そんなことがわずかばかり実感を伴って理解できるのは、農業経済学をやっていたからでしょうか。



本書の後半は、本質的には日本社会批判です。こういう学者が、「有名な」先生方よりも有名でないのは、問題の根深さを示しているような気がしてなりません、ね。









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