2008-01-18

『坂の上の雲』(司馬遼太郎/文春文庫)













奇跡の合理性。


日経を読んでいるからでしょうか?
一人当たりGDP18位世界全体で10%割世界の企業時価総額ランキングで10位以内なし、など世界経済における日本の地位低落が気になる最近ですが、「それがむしろ当たり前」と思える一冊。

尊敬するとあるオジサマに「人生に影響を与えた本は何ですか?」と聞いていわれたのがこの本。
結構探して、予備校近くのブックオフで2900円(全8巻)で購入したのでした。古本としては高価です。



内容は、日露戦争期の、日本史です。
というのは、限りなく事実を描こうとしているから。

「『坂の上の雲』という作品は、ぼう大な事実関係の累積の中で書かなければいけないため、ずいぶん疲れた。本来からいえば、事実というのは作家にとってその真実に到着するための刺戟剤であるにすぎないのだか、しかし『坂の上の雲』にかぎってはそうではなく、事実関係に誤りがあってはどうにもならず、それだけに、ときに泥沼に足をとらわれてしまったような苦しみを覚えた」(あとがき『首山堡と落合』)

5年の下調べと、5年の執筆。「東洋の奇跡」と呼ばれ、半ば神格化されて教えられてきた日露戦争期の日本の姿を、あらゆる資料を取り寄せ、あらゆる人間に取材し、自ら海図や陸図を使って戦争のシミュレーションを行いつつ、「限りなく事実を」描ききった大作。「私の40代をほぼこの執筆に費やした」との言葉に、作家とはここまでストイックなものかと心底頭が下がる思いです。

一握りの有能な人と、一握りの無能な人と、そのほか大勢の普通の人がいたということ。
そして全員が、自分の命ではなく、国家の存亡を賭けて、戦っていたということ。

秋山・児玉をはじめとする一部の天才が優れた戦略を作り、それが勝利につながったというのは結果的に事実でしょう。しかし、もし彼らがいなくても、ほかの天才が生まれ、新たな優れた戦略を作ったはず、という明治の空気が伝わってきます。

当時、東洋の弱小国だった日本が国家の存亡をかけて臨んだ日露戦争。その危機意識は強烈です。いま考えても奇跡の勝利としか思えませんが、その背後には「奇跡」と一言で言い切ってしまうのは申し訳ないほどの冷静な計算に基づく戦略と、その実行を可能にさせた個人の努力が横たわっているのだと認識を改めました。





冒頭に戻りますが、そもそも日本とは、「その程度の」国だったのではないでしょうか。

その程度らしからぬ国だと思わせたのが『坂の上の雲』の日本人たちであり、そう思って努力してきたのが戦後の先人たちである気がしてなりません。奇跡なんて、ありえないのです。




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