2008-04-05

『ゆたかな社会 決定版』(J.K.ガルブレイス 鈴木哲太郎訳/岩波現代文庫)













「経済学って、本当に意味あるんですか?」


昔から思っていたのですが、GDPや経済成長率や景気って、なぜ高い(良い)と嬉しいんでしょうか?

これほど「ゆたかな」日本で、これ以上の豊かさって必要なのでしょうか?

その問いは自分の進路を決めた原点なのですが、それは別の話。




現代の経済学の中で前提とされている価値観への問いかけの本です。
著者はアメリカの経済学者。ハーバード大名誉教授で、政府の要人も、米経済学会長も務めた一人。
主流の経済学をよく理解したうえで、その文脈上で批判しているのですから読み込みやすい。

大学受験の現代社会ではガルブレイス=『ゆたかな社会』と覚えたものですが、ようやく読めました。
初版は1958年。4度も改訂され、読み継がれているのですから驚きです。


本に描かれているのは、貧困者の救済の学問であった経済学が、社会の発展に伴いゆたかな社会の論理としてちぐはぐに作り変えられてきたという歴史と帰結です。

なぜ、官より民が重要なのでしょうか?なぜ経営者は尊ばれるのでしょうか?

それはこの世では生産が重視されているからです。
ではなぜ生産(経済成長)が重視されるのでしょうか?

昔は平等、保障、生産が並んで問題とされていたのです。しかし、社会の発展により、生産だけをもって、ほかの2つが巧妙に隠されたからだといいます。というのは生産の増強によって全体が大きくなれば貧困者が減ることが現実によって確かめられたこと、広告活動によって欲望を生み出し、生産の保障が可能になったからです。絶え間ない生産の拡大のために、広告活動により必要以上の生産と消費を繰り返す現代。しかしながら人的な投資である教育や生活環境などの公共財への生産は容易になされません
。それは個人の所得を奪うものとして悪とみなされるからです。過剰な私的財の供給と過少な公共財の供給というアンバランスな「ゆたかな社会」。しかし人々の所得は「ゆたかな社会」の生産活動から生まれており、このような社会を否定することができません。否定できるのは「新しい階級」と呼ばれる、所得の大小に囚われず自分の価値観にあわせて好きなことを仕事にしている人だけです。


彼は農家の息子で、トロント大農学部、UCLAバークレーの農業経済学を修めた一人。

『農業再建』にもこの本が紹介されていました。なんだか分かる気がします。

だって、農業って、消費者主権じゃ最適化されないんだから。







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