2008-02-16

Blue are the faraway hills.

テストが終わりました。


今日で、一通り大学のテストは終了です。
大学も、もう4年目。いちおう、もう卒業単位はとり終えたはずなので、気分は卒業です。


で、多少の振り返りを。

経済学部に進学してからは、伊藤元重、吉川洋、岩井克人、藤本隆宏、と本でしか知らなかった先生方の講義をライブで聴けるというエキサイティングな日々。いずれも期待に違わず、饒舌かつ知識が深い。植田和男、伊藤隆敏など金融関係の先生の講義を聴く機会はありませんでしたが、ほぼ満足しています。とりわけ岩井克人の講義は抜群に面白く、初めて天才と秀才の違いを肌で知りました。「この大学に入って本当によかった」と思わせるひと時を何度も味わうことができました。


で、何が残ったのでしょうか?


出席してもしなくても変わらない授業と評価と能力。「学部生だから」という前提つきの授業。テスト期間中だけ増える履修生。数をこなすだけの試験と単位。卒業するだけの大学。



学んだのは、経済学ではなくて、要領よく単位をとるコツ。
気づいたのは、経済学視点での社会矛盾ではなくて、他人や環境に頼らず勉強していくことの重要さ。

・・・そんなことを学ぶために大学に入ったんじゃないんですが。


憧れとか感覚とかブランドで決めてしまったツケが、こんな形で回ってくるとは世の中うまくできています。
入り口が、出口ですから。




就職も一緒、なんでしょうね。






2008-02-13

『リサーチ・マインド 経営学研究法』(藤本隆宏,新宅純二郎,粕谷誠, 高橋伸夫,阿部誠/有斐閣)













研究者の人生。


「経営管理」の授業の過去問(この企業の生産ラインを改善提案せよ、みたいな内容)があまりに難しかったので、ヒントがないのかなあと探したときに見かけ、思わずはまってしまった本。


いや、完全に読み物として面白いんです。


内容は一言でいうと「私はこうやって博士論文(もしくは代表論文)を書きました」という体験談。

東大経済学部経営学科の著名な先生方(何故か僕は全員取材or授業を受けたことがあるのだから不思議です)が、自らの学生時代に戻って、どんな経緯で、どんな研究を、どんな風に作り上げていったのか、ということをなるべく研究手法を厚く(熱く?)、書かれています。基本的に経済学者というのは狭き門。それで東大にいるのですから、よっぽど凄いのです。ということは必ず、何かスペシャルな体験なり経験があるわけで、読み物として必然的に面白くなるわけですね。


爆笑なのは高橋伸夫先生。さすがにベストセラーを書いた人の筆力は圧巻で、学者とは思えません。彼は別に経済学部OBでもありませんから、やはり研究成果にオリジナリティーがあったんですね。

もともと「ぬるま湯的経営」の研究が、実は単なるお遊び的な意味で始まったこと、学会の重鎮たちに馬鹿にされてムキになって研究を進めるうちに、エレガントな結果が得られていったこと・・・。学者の人生とは、「国のため」とか「こうなりたい」とかではなく、単純に「楽しい」から始まっていて、凄く自然です。読んでいてここまで面白いものかということかとびっくりしました。



まあ、僕は研究者は絶対向かなそうですけどね。


ほかのタイトルのほうがきっと売れた気がします。











2008-02-09

What is the justice?








(※写真はウェブ上のもの)

青山霊園に行ってきました。


地下鉄東京メトロ千代田線乃木坂駅から徒歩5分。
六本木ヒルズと東京ミッドタウンが見える一等地に不思議とあるのが青山霊園。
つまり、お墓です。

入ってみると、あるわあるわ教科書に出てきた人の墓。
西郷隆盛、小村寿太郎、加藤友三郎、犬養毅、吉田茂・・・
日本史選択者としてはそれだけでお腹いっぱいです。


前置きが長くなりましたが、1932年の今日は血盟団事件の日。
井上準之助の命日ということで、お墓参りに行ってきたのでした。
お昼過ぎに行ったこともあり、もうすでにたくさんお花があがっていました。

お墓は、個人の名前が彫ってあって。
なんだか作り物のようで興ざめでしたが、隣に植えてある木が立派で、急に年月を感じました。




最近、自分の中で井上準之助がちょっとしたブームです。
まあ、そうじゃなきゃお墓参りなんて行きませんよね。


彼が凄いのは、金解禁のような(現代から見ても)判断の難しい経済問題を、果断に実行した姿勢。
当時の世間からは不評です。でも、まったく迷っていないんだから驚きです。
むしろ、全国に講演に回って世間の人に説明して、説得して回っている。

その意思の背景には、知識と経験に裏打ちされた、日々の努力がある。
肌で国際情勢に触れて、頭で経済学を学んで、体で国際経済を実感して、
とことん「日本はどうすべきか、そして自分は何ができるのか」を考えた結果が彼の答え。



殺されたのは、本当に本当に残念です。同じ国民として、悔しい。








以前頂いたコメントで「なぜ、城山三郎が読まれるのか」という質問がありました。

いろいろ考えていましたが、個人的には「正しさとは何か」を問うためだと考えています。


城山三郎にしろ、司馬遼太郎にしろ、登場するのは熱いオトコたち。
何か大きなもののために自分を投げ出す彼らは、意気込みとは裏腹に、大抵世間から認められません。
そして、失意のまま、不幸にして死んでいく・・・そんなところで小説は終わります。


が、現実はそこで終わらないんです。



彼らの行動は、現代から見ていかなる評価を下せるのか。
正しいのは世間であったのか、大勢の人間が認めることこそが正しいのか、正しいとは何なのか・・・。



大学にいると、「正しさ」や「正義」の枠を仮に定めて、それを目指してしまいがちなもの。

しかし、それらはあくまで相対的なもので、常正しさを問い続けることこそが「正しい」のだ
・・・というのは無難な解釈でしょうけど、そんなことを思ったりします。




この人は、いったいどんなことを考えていたんだろうか。






















2008-02-01

『ドラッカー 永久保存版―一流の仕事をするプロの教え (ビジネスの巨人シリーズ』(ドラッカー研究室/アスペクト社)














よくまとまった一冊です。



僕はドラッカリアンなので、ドラッカーの本は原典(日本語訳ですけど)を読もうと思っているのですが、
本屋でパラパラ眺めているうちに、思わず買ってしまいました。


すごくよくまとまっています。


ちなみに、P.F.ドラッカーとは、マネジメントの父といわれた経営学者&社会学者&・・・という人。
日本の経営者の愛読書である『現代の経営』をはじめ、世界中にファンが多い人です。
(出井さんとか、江副さんとか、柳井さんとか、伊藤雅俊さんとか)
2005年に95歳で亡くなるまで「次が一番」と言い本を書き続けた、そんなパワフルなお方。


彼が凄いのは、一人ひとりが幸せで、全体としても成果を挙げる組織のあり方をマネジメントとして体系化し、その視点で一個人の生き方から、非営利・営利組織のあり方、そして社会全体のあり方までを語ってしまうところ。それが極めて理想的にもかかわらず、地に足の着いた内容なのだから驚きです。そして読むたびに新しい発見がある。これはきっと内容がずば抜けているのでしょう。

そんな①人の生き方②組織のマネジメント③社会の未来のエッセンスを凝縮して集めたのがこの本。

3つの分野はそれぞればらばらなので、手元にまとめて一冊置きたいなあと思っていました。
そんなドラッカリアンの心理を巧みについた本なのでしょう。見事に術にはまってしまいました。笑


で、もう読み終わってしまいました。もし興味のある方がいればぜひ。




imagination or ...

想像力と頭の良さ。


財務省の方にOB訪問をしたら、思いがけず高校のOBでびっくり。
特にお願いしたわけではないので、「天文学的な確率」とはこのことですね。

別に財務省志望ではありませんが、「こんな風に考えられる人になりたいな」を感じるのは財務省。
「財務省職員と話してみませんか?」的なメールをいただいたので、せっかくなら、と。


①財務省の仕事について
②自分の志望動機について

2つ、聞いて(もらって)きました。


常々ものすごく疑問を抱いていたのは、現場が(見え)ない仕事のどこが面白いのか、ということ。

財政や税制という政策分野は、あくまで政府の運営のために存在するわけで、「国の問題を解決する」という視点に立つと、政府が国のためにあるといっても、影響は間接的なわけです。

社会の中から問題を見つけ、学問にヒントを得、現実を変えていく、そして社会に戻り・・・と、その過程を繰り返していく。そんな循環が役人の意義であり、同時に醍醐味でもあるわけです。本当に描けるのかなあ、



・・・と思っていたのですが、想像力で描くということがわかりました。

ずば抜けて理解が早い。僕が話した言葉の9割はいらなかったようですね。


問題意識の持ち方もマクロ的過ぎるし、将来の軸もないし、個人的な鮮やかな体験も、共感を呼ぶ言葉も、将来のキャリアパスも、あまり得るところがありませんでした。が、そうした不足は想像力で補っている、逆に言えば補える頭のよさがあるのだなあ、と思い納得しました。




人生は無限のトイレットペーパーのようだと思っていて。

みんな同じものを巻き続ける、のかなあ、と。それならなるべく早く巻いていくことが価値なのかと。


ここ数年、巻いてばかりですが、ちょっと考えを変える必要がありそうです。



考えすぎ、かなあ。